300年の伝統行事が人と町を育てる
赤穂岬の海岸沿いを東に迂回すると陽光に輝く播磨灘が、大きなあくびをして瀬戸内海の美しい島々を飲み込んだ。入り江に黒や銀の鈍い光を放つ本格瓦が密集する小さな港町が見えた。
坂越の町は江戸時代、赤穂の塩を運ぶため元廻船問屋が軒を連ねていた。その町並みが目の前に広がった。
瀬戸内海にある港町の民家や商家の造りは似通っており一階は千本格子が細やかな感性を振りまき、二階には虫籠窓が塗り壁とともに昔日の賑わいを彷彿させる。
平入り商家の路地裏を覗くと、小さな明かり取り窓の庇がリズム良く並ぶ。何回か修理や取替を経て今もその美と佇まいを守っている。職人の伝統がなせる技か。
坂越は昔から和船作りが盛んだったが、船大工は家を建てない。しかし、民家の意匠は和船の細工とどこか似ている。和船は細かいところまで手を入れ繊細で美しい。赤穂市でただ一人の和船大工、湊隆司さん(78歳)は、生涯で200隻の和船を作ってきた。造った祭礼用の船は重要文化財に指定されているが、「何隻作っても満足いくものはない。一生修行です。」と言う。丈夫で美しい船を作る工夫が、民家にも見られる。大きな材を使わず材質を選び、細工と工夫で美しさと耐久性を保ってきた。伝統の品格が町の雰囲気と重なる。
昼を過ぎると、町の人が大避(おおさけ)神社へ集まった。坂越の船祭りは、瀬戸内三大船祭りのひとつに数えられる。神社では神輿に御分霊をお渡しする神事から始まり、厳かに神楽を奏でる中、猿田彦・神楽獅子が舞う。やがてゆっくり本殿を降り、海に向かう参道を1時間掛けて舞いながら下りていく。【写真1】 神社下の浜辺では塩廻船の伝馬船をかたどった「櫂伝馬」が二隻、沖から漕ぎ寄せ、【写真2】 褌姿で神輿ご乗船のための橋板(バタ板)7枚を勇壮に練り合って船に掛ける。【写真3】 神輿が乗船すると、【写真4】 「櫂伝馬」二隻が先頭となり曳舟して計12隻の和船が、獅子を舞い神楽を奏で、船歌を歌って賑やかに坂越湾を巻き「生き島(大避神社の神島)」までお渡しする。【写真5】
300年も続く伝統行事は、お年寄りから小さな子供まで祭りに参加し、遠くから親戚や友達が見に来る。「外へ嫁に行った80歳のお年寄りが、祭りの時必ず帰ってきます。祭りは楽しいですよ。町の人がみんな集まるので、子供が悪さをしていると誰彼となく叱る。子供がすくすく育つのも祭りのお陰です。」と、隣のおばさんが、輝いた顔で自慢する。その地にあるものをあるがままに続けていけば人を呼ぶ。人が集まり、祭りが続く。伝統や自然を大切にする習慣が人と町を育てている。