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/ 100年住宅

No.30 防災と建築 宮城県気仙沼市

2014年秋、宮城県気仙沼市へ帰省する友人に誘われ初めて東北の地を訪れた。

 

 

東日本大震災の被災地、気仙沼は昔から地震や津波に見舞われてきた。1896年明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震の津波で大きな被害を被った。その80年後の2011年にふたたび大きな地震と津波によって甚大な被害を被った。何故過去の教訓が生かされなかったのだろうか。

 

気仙沼港から船で30分のところに人口3000人の大島がある。大津波はこの島を真っ先に襲ったが、被害が少なかった。この島の形が瓢箪のようにくびれており、そこに巾10mの道路が田中浜から浦の浜へ南北に走っている。

 

 

津波はこの道を走り気仙沼港へと抜けていったからである。写真の家はこの沿道に建つ。水害を避けるため道路からさらに石垣を築き高台に建築している。

島の南側は住宅被害が少なく死者は出なかった。

 

 

 

 もう一つ不思議に思ったエリアがある。気仙沼港から60m離れた古い商店街が残った。東西に走る東浜街道が気仙沼港からS字カーブで急坂を上りきったあたりで商店街はゆるやかな坂道を北に延びている。海側を小高い山(五十鈴神社)で守られていたこともあるのだろうか。床上浸水の被害で済み街並みは残った。

 

 一方、大きな被害は戦後開発された港周辺に集中した。埋め立てられた平坦な地に水産加工工場が立ち並び、商業がうまれ、やがて住まいが増えていった。高度成長を支えた新しい町である。経済活動を発展させるために便利さが優先されていった。経済の発展が過去の教訓を置き去りにし防災の備えを小さくしていったことを実感させられた。

 

 大きな災害を受けた人の心は、初めての体験に翻弄されていた。被害の大小だけでなく、保障の線引きによって生まれる運・不運。立場やそれぞれの環境によって、直接の被害だけでなく、その後の間接的で人為的な被害が発生し格差が生まれつつある。かつて仲間意識や郷土意識が高く細かなコミュニティをもった人たちが立場の違いの前に黙ることが多くなった。歴史が培った東北の人が持つ粘り強い自助努力機能が働かず、都会的な再建案に戸惑い時間が過ぎている。そんな厭世観が人々の表情を暗くする。

 

 美しい田中浜に新築された休憩所で働く老夫婦に話を聞くことができた。今、この浜辺をきれいにすることより、他にすべきことがたくさんあると思うが、役所や国に伝わらない。私たちもこの仕事があるから食べていけるので何も言えない。とさびしげに話す。港の付近に住むSさんは深刻である。来年にはこの町に住むか、町を出て山の方へ移り住むか判断を迫られている。町で暮らすにも一旦今の住まいを壊し地盤の嵩上げをして建物を建てることになるが、支援内容はまだ決まらない。近所付き合いが壊れていく中で、ここに暮らしたい気持ちも萎え始めている。時間がたつほど判断が難しくなっている。

 

 

その後Sさんが住んでいた地区は危険地域の指定を受け、市から提供された気仙沼駅の近くに引っ越した。現在嵩上げ中だが、戻れるかどうかはわからない。

 

近年、災害は地震や津波だけでなく、集中豪雨、河川の氾濫、地滑り、噴火、灼熱の夏、暴風雨など多岐にわたりその規模が大きくなっている。どれだけ住まいの安全が担保できるか。地域に根付いた防災の質と量が問われている。

 

 

  【POCO Vol.30 百年住宅を考えるより】

/ 100年住宅

No.29 御影公会堂

 昭和の終わり頃、国道2号線と石屋川が交差する地点に御影公会堂を初めて見た。その建物はかなり傷んでいたが手入れもされず、役目を終えたかのように見えた。唯一玄関口で目立っていたのは、地下で営業している食堂の不釣り合いな照明付き営業看板だった。だが個性的な建築物で気になる存在であった。それから5年後、阪神淡路大震災が起こり神戸の街は大きなダメージを受けることになる。そして阪神淡路大震災20周年を迎え、震災を振り返る記事がたくさん取り上げられた。その中に御影公会堂の歴史を詳しく書いた新聞記事に出会い、改めてこの建物を再認識することになった。

 

 

  この建物は、昭和8年に地元の白鶴酒造の6代目嘉納治兵衛の多大な寄付により公民館として完成した。当時はまだ御影村と称していた地域住民にとって自慢の建物だった。特に550人も収容できる公会堂は阪神間になく人々にたいそう重宝された。戦後は結婚式場になり、最盛期には年間1000組のカップルを祝福した。

 

 

しかし、この建物が語る最も重要なことは、激動の昭和を乗り切ったことにある。昭和13年の阪神大水害、太平洋戦争の神戸大空襲、そして阪神淡路大震災と大きな戦災、自然災害を潜ってきた。戦災では建物の過半を焼失する被害にあったが、終戦後すぐに修理され幼稚園として2年間、その後は昭和58年まで結婚式場として活用された。そして、戦後の目覚ましい高度経済の発展の中でその役目を終えようとしていた。平成3年には老朽化の為建て替えが決まり、公民館兼嘉納治兵衛記念館として生まれ変わる日を待っていた。そんな中で阪神大震災に遭遇した。周辺の建物は地震で崩れ、あるいは火災で燃え灰燼に帰した。しかし、御影公会堂は無傷で残り、避難場所として人々を救済した。その後、老朽化建て替えの話はいつの間にかなくなり、今日に至っている。

 

 

この建物の設計者 清水栄二は地元出身で神戸市役所初代営繕課長を経て清水設計事務所を立ち上げ、地元の建築に貢献した。彼が活躍した時期は、関東大震災が発生した1923年(大正12年)以降になる。関東大震災を経験した清水栄二が耐震性を重視したことは想像に難くない。御影公会堂の中に入るとそのことがよくわかる。直径1mの柱やアーチ状の大きな梁が広い空間に遠慮なしに存在している。

 

 

 

その存在がアールデコのデザインを取り入れることで空間を優雅にまとめ上げている。デザイン的にも素晴らしい建物である。彼について詳しい情報は少ないが、再び彼が脚光を浴びるようになったのは、80年を経ても活用されている建築物による。それは彼が信念としていた「半永久的な建物」が証明されたことでもある。

 

建物が残ったことは運が良かったからだけではない。地震に耐え、火災に耐えた建築が持つ本質的な力は人力だと思う。100年に1度あるかないかの地震を心配しても仕方がない。来た時は来た時と言う人もいる。果たしてそうだろうか。阪神大震災や東北大震災の復興から学ぶことを怠ってはいけない。可能な限り備えることが問われていると思う。

 

 【POCO Vol.29 百年住宅を考えるより】

/ お知らせ

ルカ動物医療センター

ルカ動物医療センターは「動物たちに優しい医療を行う」使命感を持って、最新の医療を提供する動物病院です。白い建物は大きなアールの庇とガラス張りが目立つ、とてもおしゃれな建物です。

 

センターの待合室は南向きに大きな窓があり開放的ですが、太陽の日差しと駐車場のコンクリートの熱気が窓ガラスを熱し室内のエアコンは効きが悪く、お客様から苦情が出ていました。ペアガラスか2重サッシにすると断熱性能は上がりますが、店舗のデザインが損なわれます。そこで、スリーエムが開発した遮熱フィルム(Nano80s)を貼ることにしました。この商品は遮蔽係数が0.65のフィルムで冷房負荷に効果があります。しかもトーメイでまったく違和感がありません。

 

写真の窓以外にも玄関フロントガラス、ガラス扉などがあり全部で22㎡の大きさです。

工事の所要時間は4時間でした。

金額は28万円(施工費込)

 

ルカ動物医療センター豊中市少路2-10-20 TEL06-6846-2040

http://www.luke-ah.jp/

/ 100年住宅

No.28 兵庫県三田市の再生

白州次郎・正子の墓が三田市の心月院にあることを知り訪ねた。

三田藩藩主九鬼家の菩提寺心月院は城下町にあり道が卍にできている。方角がわかっていてもなかなか辿り着かない。畑仕事をしている男性に道を尋ねた。ついでにお寺の由来を聞くと「わしは足軽の出だからよく知らんので和尚に聞いて。」と言われ驚いた。

 

 

心月院は庭の美しい古刹で、江戸時代の建物が残り、時が止まった心地良さがあった。春のお彼岸で人が多い。しかし九鬼家先祖代々の広いお墓は高い塀に囲まれひっそりとしていた。中に入ると整然と並ぶ歴代大名の威圧的な墓に圧倒される。九鬼水軍の霊気が漂っているようだった。その手前に代々家老職を勤めた白州家の墓があった。末席の出入り口に白州次郎と正子の小さな墓石が並んである。墓石のユニークなデザインは正子に依る。しかし気性の激しい二人が実家のお墓に納まるとは面白い。

城跡には学校が建っており昔を振り返るすべもないが、城跡を取り囲む武家屋敷や商家が残っていた。特に上級武士の町並は当時のままであることがわかり、道幅の広い道路には、江戸時代から続く冠木門や板塀が今もしっかり手入れされている。よく見ると屋敷は建て替えられ、入母屋造りの和風建築が昔の面影を残し、町並をしっかり守っていた。

 

 

 

 

 

一方商家は鎌倉時代から続く門前町がそのまま残っており、土蔵造りの立派な建物が多く、長い年月を経て栄えてきた誇りを今に伝える。通りには婚礼品店、呉服屋、美術商、履き物屋など千里では見かけない店が並ぶ。店前に古い調度品を整然と並べている美術商「一富士」の重たい木製の引戸を開けた。

 

お茶の道具から掛軸、家具、焼き物など所狭しと置かれていた。奥から「いらっしゃい。」と声がした。「売りに来る人は多いけど、買いに来る人はいませんわ。」と屈託のない話で笑いを誘う。

築150年の造りに感心していると、「孫が来て言うんです。“おばあちゃんの家は木の家や!”と3匹の子豚の話をするのです。かないませんわ。」と笑う。しかし、「近所の人が家を建て替えてまだ15年しか経たないのに、外壁と屋根のリフォーム工事で500万円払ったのには驚いた。昔の家は修理せんで良いようにできているのにね。昔の家を建てる大工や職人がおらんからでしょう。」とあきらめ顔だった。「息子が跡を取らない店は廃業して更地にする。だから所々空き地がありますでしょう。もう10年もしたら住宅街になってます。」しかし、町を歩いていると、若い人の活動が少しずつ広がっているのが見えた。

 

呉服屋の娘婿が実家の古民家を改修して「蕎麦一」(そばいち)をはじめたと聞き訪ねると、武家屋敷をそのまま利用して「古さ」を売り物にこだわりの蕎麦屋を営業していた。

 

 

 

畳を板に取替、間仕切りの建具を取っ払っただけで、元々の雰囲気を残している。古い家具を再利用した質素な佇まいが蕎麦の味に合う。小さな子供をつれた若い家族が田舎の実家を訪ねたように、ゆっくり食事をしていた。

 

あるいは江戸から伝わる民家で、スローフードの料理教室を運営している方がいる。レトロな民家でゆっくり自然の食事を楽しむことを目的としている。スローフードからスローライフへ。共通の土俵が整いつつある。若い世代が三田の良さを発掘し次の時代に繋げようと模索しているのだろうか。

 

今はまだかたくなな旧市街地の存在が新しい風にあたり、和らいでいけば、そこに新しい三田だけの町並ができるのではないだろうか。急がずゆっくり町の推移を見守りたい。

 

 【POCO Vol.27 百年住宅を考えるより】

/ 100年住宅

No.27 悠久の営みを刻む越前大野

「越前大野」の言葉の響きに誘われて訪ねた。昔の名前がそのまま残っているように、町並も昔のまま残っているのだろうか。そんな期待を持ち、朝早く車で出かけた。北陸自動車道を2時間30分ほど走り福井インターチェンジで下車すると、すぐ右へ曲がり山の中へ入っていく。しばらく暗い谷間が続き、段々明るくなってきたと思ったら急に田畑が広がる大きな大野盆地にでた。

 

前方に白銀でまぶしい白山(2,702m)が低く見える。白山の横には大野城が聳えていた。越前大野は織田信長の武将、金森長近氏が1580年移封され築城し縄張りをした。小京都と言われるように碁盤の目に建物が建ち、町人、武士、お寺などの区割りがそのまま残っている。メイン通りは道幅が広く、400年続いてきた「6間朝市」には新鮮な産物や珍しい加工物が並ぶ。買い物客は観光客より地元の人が目立ち地元の言葉が飛び交う。

 

 

この通りを囲む建物は北陸らしい壁を見せた真壁造りが多い。雪の害を避けるため屋根の軒が深く、その軒を支える為の工夫が随所で取り入れられている。多分江戸時代の建築物であろうか、梁のような太い垂木が伸び母屋を支えているものもあれば、防火壁が母屋を支え垂木を伸ばして軒を深くしているのもある。

 

 

また、寄せ棟造りでは軒を伸ばすために垂木を受ける垂木があり、その垂木を頬杖で支えている。まるでお寺のような屋根が普通の民家に見られる。この辺りには永平寺など神社仏閣を建てる志比大工がおり、優秀な大工には困らなかったのであろう。表の建物の裏には土蔵が並んでいる。2階は漆喰で塗られ、1階は下見板張りの塗り屋造りである。その蔵の軒が特に深い為、壁から軒先を細い頬杖で支えていた。これは雪の重みを支えるだけでなく、高い山に囲まれた地域特有の春一番に屋根が飛ばされないように工夫されているのである。

 

 

この頬杖はこの地方と青森県のある地域にだけ見られることから、江戸時代、北前船で伝わった建築文化なのかもしれない。この越前大野からは高山、美濃へも街道が延びている。高山にも同じような建物が見られるので家文化が街道を下ってきたのであろう。この手入れの良い町並みを歩いて不思議に思うことがある。それは何を糧にして町の人は生活しているのだろうか。という素朴な疑問である。高い山々から恵みの湧き水で生まれる美味しい米と農産物と加工品だけでこの町が成り立っているのだろうか。

 

 

もしそうなら、昔から変わらないスタイルで生活して来たということが言える。楽しそうに店を出している82才のおじいさんに声を掛けられた。大阪から30年前にここに住み着いたという。「都会の良さはないけど、ここの人はよそ者にもやさしいので暮らしやすい。」と話す。そんな人情のある悠久の町を、都会からやってきた異邦人が理解するには時の長さが違いすぎた。都会で生きることは時を刻む音が早過ぎると言うことであろうか。なかなかゆっくりとはいかない

 

 

 【POCO Vol.26 百年住宅を考えるより】

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