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No.33 木曽路の民家

/ 100年住宅を考える

中山道の木曽路に残る出梁造り(だしばりつくり)の街並みが目当てだった。

馬籠、妻籠は有名だが、素朴な街並みを求め、初めての木曽路を車で北上した。

 

しかし、昔の宿場町は寂れ近代の街並みを残すだけとなり、昔日の景色を断片的にとどめていた。木曽駒ヶ岳と御嶽山に挟まれた木曽路が狭まったあたりに出梁造りの大きな家を見つけて眺めていると、家人に会うことができた。幸運にも彼は大工であった。しかも隣町で典型的な木曽路の家を復元改修した苦労話を聞くことができた。早速現地を尋ねると目立たない風で町に溶け込んでいたが、近づくと重厚感があり、1階の格子窓と2階の障子窓の対比が美しい。

  

 

案内板に宮の越(中山道36番宿場町)旅籠屋田中家とある。中に入ると薄暗くすすけた梁や柱が年月を刻んでいた。材木は松材が使われていた。木曽檜はすべて上納品として江戸に送られた。目が慣れてくると内部の広さや高さが分かり、大工造作や調度品の珍しさに目を奪われた。調理道具などもそのまま残っており生活感がある。玄関からすぐ左に囲炉裏端があり吹き抜けになっている。

 

吹き抜けの空間には曲がった梁や柱の架構が2階の大屋根まで伸びていた。大工が考えて作った会心の作品である。高い天井には天窓から明かりが差し込み、居間や囲炉裏端だけでなく、2階にある窓から室内に光を差し込む工夫がされていた。しばらく当時に思いを巡らした。外に出るとまぶしいほど明るい。

 

 

本陣も復元されたと聞いていたので人影が少ない街並みをたどりながら行くことにした。

立派な御門をくぐると正面に復元された本陣が構えていた。

 

 

 

長野県の中部に多い本棟造りの平屋は、1883年の大火で本陣居住部分が焼失したが、客室部は火災を免れ家族が移り住み、水回り、玄関などを改修して現在に至っている。

客室部にある上段の間は1880年木曽巡幸の時、明治天皇がご休憩された。これは、今も語り継がれる町の誉れである。近くに土蔵の入口で作業している年配の方がいた。天皇の御幸のことは親から伝え聞かされてきたのであろうか、ついこの間のように語った。家の成り立ちを尋ねると、街道沿いの家は間口2間から3間までだが、奥行きは裏の蔵から田畑を過ぎ木曽川を渡り山の裾野までが敷地という。蔵、町、暮らし、子供等と話は続いた。木曽路の冬は雪に閉ざされ、雪の重みと寒さに耐える生活に若者は帰ってこない。子供がいないと家は続かないと言う。しかし長い歴史がはぐくんだ人の暮らしには、世間の動きに動じない知恵が詰まっているのだろう。ここの生活に満足している風に見えた。谷を走る強風が何回も大火災を引き起こした。そのたびに大工の腕が上がり、宮の越大工と重宝されることになる。厳しい環境での生活の営みが暮らしの本質を磨いてきたのだろう。

 

話の中に木曽の檜は上納するためで、木曽の建築には使われなかったと聞いて驚いた。

 

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