商売人、職人の町並みが 今も残る
梅田茶屋町から能勢妙見山へ続く能勢街道の中間に岡町がある。「岡へ行く」昔の人はそういって岡町(豊中市)に出かけた。
能勢街道の岡町周辺は建築職人の町であった。
大工、左官屋、建具店、瓦屋、石材店、材木屋。百メートルも歩くと家が建つと言われた。やがて飲食店や商店が増え「ここへ来れば何でもそろう。」と呼ばれ、大変賑わった。
昭和の初めには造り酒屋が三つもあった。そのうちの一つが今年(2001年)九月に解体され、解体作業に一ヶ月かかった。立派な造り酒屋を惜しむ声が上がった。跡地にはマンションが建つ。
阪急宝塚線の「岡町駅」を出て東に商店街を歩くとすぐ能勢街道にでる。そのかどに明治時代から変わらぬ姿のめん処「土手嘉」がある。アーケードの屋根に二階部分が隠れているが、外壁や瓦は明治時代のまま。シックイを塗った黒壁やタイルを張った床が見事に残っている。江戸時代から続いている店で、八代目の店主が調理場に立つ。
今の店は明治時代に建築された。広い食堂の真中に大黒柱が立っている。昼時の賑わいを見ていると岡町の台所という感じ。店内の調度品なども昔のままきれいに使われている。
北に歩くと池田の酒「呉春」の大株主の一人吉本邸がある。立派な鬼瓦が大きな屋根にそびえる。腕のよい鬼瓦の彫師がたくさんいたらしい。東西に走る府道二号線と交差する角に、酒屋の蔵がきれいに残っている。先の地震で傷んだが外見だけでもきれいにしたいと先代が修理をしたそうである。先代がいるうちは残したいと店主は語った。
江戸時代の町屋「タバコ屋さん」も看板おばあさんと一緒に健在。畳屋、建具屋など建築職人の店もそのまま残っているが朽ちて、時代に取り残された残渣(ざんさ)のように小さくなって今も店を開けている。昔の町屋が点在する間に、イタリア料理店、ブティック、美容室など若者で賑わう華やかな店が混在する。
南桜塚から豊中駅までの距離しか旧能勢街道が残っていないが、しっかり次の時代を取り入れてしたたかに生きている。