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No.29 御影公会堂

/ 100年住宅を考える

 昭和の終わり頃、国道2号線と石屋川が交差する地点に御影公会堂を初めて見た。その建物はかなり傷んでいたが手入れもされず、役目を終えたかのように見えた。唯一玄関口で目立っていたのは、地下で営業している食堂の不釣り合いな照明付き営業看板だった。だが個性的な建築物で気になる存在であった。それから5年後、阪神淡路大震災が起こり神戸の街は大きなダメージを受けることになる。そして阪神淡路大震災20周年を迎え、震災を振り返る記事がたくさん取り上げられた。その中に御影公会堂の歴史を詳しく書いた新聞記事に出会い、改めてこの建物を再認識することになった。

 

 

  この建物は、昭和8年に地元の白鶴酒造の6代目嘉納治兵衛の多大な寄付により公民館として完成した。当時はまだ御影村と称していた地域住民にとって自慢の建物だった。特に550人も収容できる公会堂は阪神間になく人々にたいそう重宝された。戦後は結婚式場になり、最盛期には年間1000組のカップルを祝福した。

 

 

しかし、この建物が語る最も重要なことは、激動の昭和を乗り切ったことにある。昭和13年の阪神大水害、太平洋戦争の神戸大空襲、そして阪神淡路大震災と大きな戦災、自然災害を潜ってきた。戦災では建物の過半を焼失する被害にあったが、終戦後すぐに修理され幼稚園として2年間、その後は昭和58年まで結婚式場として活用された。そして、戦後の目覚ましい高度経済の発展の中でその役目を終えようとしていた。平成3年には老朽化の為建て替えが決まり、公民館兼嘉納治兵衛記念館として生まれ変わる日を待っていた。そんな中で阪神大震災に遭遇した。周辺の建物は地震で崩れ、あるいは火災で燃え灰燼に帰した。しかし、御影公会堂は無傷で残り、避難場所として人々を救済した。その後、老朽化建て替えの話はいつの間にかなくなり、今日に至っている。

 

 

この建物の設計者 清水栄二は地元出身で神戸市役所初代営繕課長を経て清水設計事務所を立ち上げ、地元の建築に貢献した。彼が活躍した時期は、関東大震災が発生した1923年(大正12年)以降になる。関東大震災を経験した清水栄二が耐震性を重視したことは想像に難くない。御影公会堂の中に入るとそのことがよくわかる。直径1mの柱やアーチ状の大きな梁が広い空間に遠慮なしに存在している。

 

 

 

その存在がアールデコのデザインを取り入れることで空間を優雅にまとめ上げている。デザイン的にも素晴らしい建物である。彼について詳しい情報は少ないが、再び彼が脚光を浴びるようになったのは、80年を経ても活用されている建築物による。それは彼が信念としていた「半永久的な建物」が証明されたことでもある。

 

建物が残ったことは運が良かったからだけではない。地震に耐え、火災に耐えた建築が持つ本質的な力は人力だと思う。100年に1度あるかないかの地震を心配しても仕方がない。来た時は来た時と言う人もいる。果たしてそうだろうか。阪神大震災や東北大震災の復興から学ぶことを怠ってはいけない。可能な限り備えることが問われていると思う。

 

 【POCO Vol.29 百年住宅を考えるより】

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