大阪の北摂地域(豊中・吹田・箕面)を中心とした
リフォーム専門店【グランマ】

お気軽にご相談ください。
0668462281
住まいの無料診断・耐震無料診断 ご予約受付中!

No.30 防災と建築 宮城県気仙沼市

/ 100年住宅を考える

2014年秋、宮城県気仙沼市へ帰省する友人に誘われ初めて東北の地を訪れた。

 

 

東日本大震災の被災地、気仙沼は昔から地震や津波に見舞われてきた。1896年明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震の津波で大きな被害を被った。その80年後の2011年にふたたび大きな地震と津波によって甚大な被害を被った。何故過去の教訓が生かされなかったのだろうか。

 

気仙沼港から船で30分のところに人口3000人の大島がある。大津波はこの島を真っ先に襲ったが、被害が少なかった。この島の形が瓢箪のようにくびれており、そこに巾10mの道路が田中浜から浦の浜へ南北に走っている。

 

 

津波はこの道を走り気仙沼港へと抜けていったからである。写真の家はこの沿道に建つ。水害を避けるため道路からさらに石垣を築き高台に建築している。

島の南側は住宅被害が少なく死者は出なかった。

 

 

 

 もう一つ不思議に思ったエリアがある。気仙沼港から60m離れた古い商店街が残った。東西に走る東浜街道が気仙沼港からS字カーブで急坂を上りきったあたりで商店街はゆるやかな坂道を北に延びている。海側を小高い山(五十鈴神社)で守られていたこともあるのだろうか。床上浸水の被害で済み街並みは残った。

 

 一方、大きな被害は戦後開発された港周辺に集中した。埋め立てられた平坦な地に水産加工工場が立ち並び、商業がうまれ、やがて住まいが増えていった。高度成長を支えた新しい町である。経済活動を発展させるために便利さが優先されていった。経済の発展が過去の教訓を置き去りにし防災の備えを小さくしていったことを実感させられた。

 

 大きな災害を受けた人の心は、初めての体験に翻弄されていた。被害の大小だけでなく、保障の線引きによって生まれる運・不運。立場やそれぞれの環境によって、直接の被害だけでなく、その後の間接的で人為的な被害が発生し格差が生まれつつある。かつて仲間意識や郷土意識が高く細かなコミュニティをもった人たちが立場の違いの前に黙ることが多くなった。歴史が培った東北の人が持つ粘り強い自助努力機能が働かず、都会的な再建案に戸惑い時間が過ぎている。そんな厭世観が人々の表情を暗くする。

 

 美しい田中浜に新築された休憩所で働く老夫婦に話を聞くことができた。今、この浜辺をきれいにすることより、他にすべきことがたくさんあると思うが、役所や国に伝わらない。私たちもこの仕事があるから食べていけるので何も言えない。とさびしげに話す。港の付近に住むSさんは深刻である。来年にはこの町に住むか、町を出て山の方へ移り住むか判断を迫られている。町で暮らすにも一旦今の住まいを壊し地盤の嵩上げをして建物を建てることになるが、支援内容はまだ決まらない。近所付き合いが壊れていく中で、ここに暮らしたい気持ちも萎え始めている。時間がたつほど判断が難しくなっている。

 

 

その後Sさんが住んでいた地区は危険地域の指定を受け、市から提供された気仙沼駅の近くに引っ越した。現在嵩上げ中だが、戻れるかどうかはわからない。

 

近年、災害は地震や津波だけでなく、集中豪雨、河川の氾濫、地滑り、噴火、灼熱の夏、暴風雨など多岐にわたりその規模が大きくなっている。どれだけ住まいの安全が担保できるか。地域に根付いた防災の質と量が問われている。

 

 

  【POCO Vol.30 百年住宅を考えるより】

お気軽にご相談ください。住まいの無料診断・耐震無料診断 ご予約受付中! TEL 06-6846-2281 メール info@grandma-homes.com